chachakun’s blog

私の日常

無力

今日はとても自分が無力だと感じた日。

 

 

今の仕事が好き。人と接する仕事、とても誇りを持ってやってるつもり。

自分が関わった人には、どんな状況であっても笑顔になってほしいと思うし、自分が関わることで問題が解決しなくても、その場だけであったとしても気持ちが楽になったりしてもらえたら嬉しい。そう思って関わってるし、これからもそうしていきたいと思う。

 

でも、これは善人ヅラしてるだけだと言われたことがある事を思い出した。それはエゴだと。

私は今の仕事に向いてないとも言われたっけ。人の気持ちに入り込みすぎるからと。

 

確かにそうなのかもしれない。

 

自分の承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。

 

そんな風に思えた…

 

 

大切なのは将来生きていくためのお金だとその人は言った。

私はあなたのやりたいと言っていることをやるための身体が大事だと伝えた。言い方を変えて、その人に伝わるように、自分の身体をまずは大切にして欲しくて。どうせ生きていかなければならないのなら、やりたい事をいろんな支援を受けながらやれるようにした方が、その人らしく生きれるし、最期の時に少しでもやり残したなと思うことが少ない方がいい気がするから。

 

でも、伝わらない…

最後の最後まで、結局お金も大事…とその人は言い続けてた。

 

 

お金は確かに大事。とても。あるなら多い方がいいに決まってる。でも、辛い身体に鞭打って、やりたい事も我慢して、痛いところはどんどん増えていく姿をみてると、どうしてそこまでしてお金が大事だと言うのか理解できない。身体が使えなくなったら、お金があっても意味ないじゃんと思う。

 

 

でも、そう思うのは私であって、辛い思いをしている本人はお金がなくなることへの不安の方が強くて、身体は二の次。

 

私はその人の家族ではないから、お金の管理まではしてあげられない。一生その人を支え続けられるかもわからない。そう考えると、自分はこの人に何をしてあげられるのだろうか…そもそも今関わってる意味があるのだろうか…今の関わりは正しいのだろうか…

 

疑問だらけになった。

 

 

 

私の仕事ってなに⁉️

 

なんなの⁉️

私はなんのためにこの仕事してるの⁉️

人のため⁉️

自分のため⁉️

 

え?もしかして自分よがりになってるの?私…

 

 

自分がしてきたことが全て自分本位のことだったのかなと不安になった。

 

結局、私にできることなんて何にもないのかもしれない。

 

 

 

それでも、「あなたに出会えてよかった」と言ってもらえると存在でありたいと思ってしまう。それが自分の承認欲求を満たすためだったとしても。

 

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