人を好きになると自分を見失いがち。
《嫌われたくない…》という気持ちが強いのかなと自分を分析してる。
小学生〜中学生までたぶんいじめられっ子だった。
クラスの女の子からのいわゆるシカト。
靴や傘がなくなる。
謎の怖い先輩から呼び出される。
そんな日常で自分の本音を言うと嫌われる…
そう思っていたと思う。だから、悪いと思ってなくてもとりあえず謝る。そしてその場をやり過ごす…
でもある日、本音を言ってみたら相手の子が登校拒否になってしまった。それをまた非難された。やっぱり、本音を言うとこうなるんだなって。正論を言ったはずなんだけど…と思った記憶がある。
そんなこんなで高校は同じ中学から誰も行かない学校を選んだ行った。
普通に楽しかった。
この辺りから、きっと周りの人もそれなりに大人になってきてるし、自分も本音を話して過ごしていたと思う。それでも友達はいたし、無視される…と言うこともなく過ごした。
恋愛もした。ドキドキしたのとか、今でも思い出すいわゆる甘酸っぱい思い出たち。(この話はまた今度書いてみようかな…💕)
離婚して好きな人ができたけど、それは自分でもびっくりのめっちゃ歳下の子。自分の
子供でもおかしくないほど下…それが恥ずかしくて誰にも言えなかった。
とても新鮮だったんだと思う、全てが。考え方も全く違うし、服の趣味も何もかも違い過ぎるけど、一緒にいると楽しかった。子供達と遊んでる姿とか見ると、とても穏やかな気持ちになれた。
ガキだなぁって思うこともあったし、いっぱいムカつくこと言われたりしたけど、それでも何故か離れるのは嫌だった。
付き合っているわけではないけど、連絡取れなくなるのは嫌だと思った。
ある時から、他に遊んでる女の人がいるだろうなと感じて、とてつもなく悲しくなった。それでも離れたくなくて気付いていないふりをし続けた。『大人の女』を演じようとした。ヤキモチめっちゃ妬いてても…
《嫌われたくない》
これが発動した。
真実を知って、離れていかれるのが怖かった。
最終的には彼女がいて、彼は去ってしまった。
こうなると思っていたはずなのに、その覚悟もしていたはずなのに、今もとてつもなく悲しい。
久しぶりに人を好きになって、得意の《嫌われたくない》が出て今思うのは、《本当の私を知っても嫌いにならない人》を好きにならないとダメだなって思う。
《友達》は本当の私をよく知ってる。だらしない部分も、わがままな部分も、男にすぐ振り回される部分も。そのくせ泣き虫で度胸がない。自分ではダメだなって思ってる部分をたくさん知ってる。
それでも、困ったら助けてくれるし、泣いたら一緒に泣いてくれる。子供達のことも一緒になって考えてくれる。私の心を支えてくれる。
恋愛においても、そう言う人を好きにならないと本当に幸せってないのかもしれないなと思う。自分が惹かれる人はどうやらそう言う人ではない事が多い😅
そこが恋愛の難しいところだなぁって思う。
ダメンズウォーカー…いつ脱せるかな💧